『われらのゲーム』 Our Game ,1995

ジョン・ル・カレ村上博基 訳/ハヤカワ文庫NV
ISBN:4150409161/900円


デタントとそれに続く冷戦の完全崩壊以後、行き場所を失ったと言われるスパイたち。だが東西国家間のイデオロギー対決が表面上なくなった代わりに、過去八十年以上棚上げにされていた民族紛争が新たな火種として国際舞台上に踊り出てくる。そのためスパイたちの役割は表面上異なったかに見えるが、本質は変わらない。原則的には冷戦時代と同様だ。ただし、かつての時代をブレイクスルーできた者だけが今でも現役として生き残ることを許される。そんなドラスティックな変革の時代をくぐり抜けられず、リストラされたエージェントが罠に陥れられるところから物語は始まる。

罠にかけたのはかつての旧友。しかもそれは主人公が育てたダブルエージェント――忠誠を示すべき対象を複数抱え、さりとて自己矛盾を完全に肯定もできない男だ。東西の鉄のカーテンで心を引き裂かれた男が、魂の流浪の末に自らの拠るべき居場所として求めた場所は、かつての敵だった男チェチェーエフと彼の対ロシア民族運動だった。しかもその運動の根拠を成す主張は大ロシア主義の少数民族抑圧に対する真っ当な非難と同義であり、いささかも正当性を欠くものではない。

こうして空中分解したラリーの足取りを、彼の元上司兼情報部そのもので、世界の流血に対する無関心、国家間の欺瞞等々、の具現である男が追っていく。その過程で国家に頑なな忠誠を誓っていたはずのクランマーは、ラリーの思想と痛みを次第に共有化していくのである。最初は嫉妬と復讐心に衝き動かされていた男が、やがて自らのアイデンティティのもとに銃を取り、国家ではなく個として動き出すラストの文章

【もうわたしには、帰っていく世界はなく、自分のほかには動かす人間もいない(P528)】

は寒々しい冷たさを備えるが、同時に類まれなる美しさを見せてくれる。(00.02.09)